
●旅のイントロダクション
そもそも「ボートで2000年の新年を迎えよう」と言い出したのは妻のハナエの方だった。
正直なところ、新年といえども、こんな寒い中、ボート会社はどこも休業しているだろうと思っていたのだが、とりあえずナローボートの専門雑誌『Waterways
World』の広告を見て電話してみる。
すると、以前から興味のあった運河Kennet and Avon Canalでボートを貸してくれる会社があったのだ!
この会社は「Foxhanger Canal Holidays」で、WhiltshireのDevizes近くにベースがあるという。
これまで借りたことがある会社は、Black PrinceにしてもRoseにしても、多くのボートを抱え、海外からの利用者も多い大きな会社ばかり。立派なホームページも持っている。ところが、今回借りようというFoxhangerは、雑誌に広告が出ているとは言うものの、それは5段程度で、ホームページももちろんない。
このFoxhangerに電話をかけてみたのは、確か10月だったと思う。英語が達者なハナエに頼んで国際電話をかけてもらうと、年末年始もボートを貸しているという。
さっそくブロシャーを取り寄せると、大会社の立派なものには及びもつかない小さなパンフレット状のものが送られてきた。しかし、中を開くと、ボートはなかなかよさそうである。
再び電話をかけ、予約を入れてもらう。この年末年始は、12月31日が土曜日なので、31日に借りて2000年1月7日の土曜日に返却になるはずだ。
ところが、Foxhangerのオーナーと思しき男性は「31日はバンクホリデー(祝日)なので、30日からにしてくれないか」と言うのだ。つまり、料金はそのままで、足かけ9日間借りてくれというのである。こちらとしては願ってもないこと。そんなわけで、今回のボートは変則的に金曜日借りの土曜日返し、計9日間の旅となった。
そしてお金を払い込むのだが、これもクレジットカードは受け付けてもらないとのことで、トラベラーズチェックを作って送ることになる。予約金100ボンド、残金400ポンドを支払って、ミレニアムボートの準備が整った。
●ロンドン到着
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この旅のスタートは惨々だった。
バンコクから乗ったTG910便は朝6:30、ほぼ定刻どおりにヒースロー空港に到着したのだが、スポットが空いておらず、スポットインまで45分も待たされる。
ようやく降機となったが、なんと沖止で、いきなり凍るような気温にさらされた。そしてイミグレは長蛇の列。その上、特定の人に対する質問が長く、ようやく順番がまわってきたときには並んでから1時間を過ぎていた。
イミグレを抜け、荷物受け取り場に降り、ターンテーブルの前に立つと、TG910便の荷物はもうほとんどない。ところが、その少なくなった鞄の中に私の荷物が見つからないのだ。15分ほどじっとターンテーブルを見つめるが、新たな荷物がまわってくる気配はない。
恐る恐るエアカナダ(タイ航空の荷物クレームを受託している)のカウンターで問いあわせてみると、なんと私のバッグはパリに行ってしまった! いろいろな国に旅行してきたが、ロストバゲージになったのはこれが初めてだ。
がっくりしつつも手続きをして、ようやく到着ロビーに出た時にはすでに9時。迎えに来てくれていたハナエと無事会うことができた。
ヒースローエキスプレスでパディントン駅へ行き、ハナエが予約しておいてくれた「チューダーコートホテル」に入る。が、なにしろなくされた荷物の中に長袖の類がすべて入っているので、寒くて外に出られない。昼食は、近くのパブでおいしいフィッシュアンドチップスをいただいたが、後は疲れも手伝ってダウン。
なくされた荷物は、翌日になってようやくホテルに到着。これでなんとかボートのたびに出る準備が整った。
パディントン駅からブリストル行きの列車に乗り、チッペナム駅を目指す。チッペナムでFoxhangerに電話し、今から向かう旨を伝え、タクシーでデバイゼスのワーフへ。到着すると、Foxhangerのオーナーの息子さんがすでにボートの整備を始めていた。
実はこの時、デバイゼスの有名な連続ロックをはじめ多くの箇所が整備中で、デバイゼスから西には進めないため、彼がFoxhangerのベースからボートをここまでまわしておいてくれていたのだ。我々としてもバース方面へ行きたかったのだが、工事中とあってはいたしかたない。反対方向、つまりロンドン方向に船を進めることになる。
15時15分、ボートを出す。今年2回目の運河旅が始まった。
●ミレニアムに乾杯!
出航の日、12月30日はHortonで係留。翌31日、大晦日は16時にPewseyに到着し、ここで2000年の正月を迎えることに決めた。
話は前後するが、この日の昼食はHoney Streetのパブ「Barge Inn」で取った。
このパブは、名前の如く運河のごとく典型的なパブ。19世紀に開業して以来、うまいエールビールを提供するだけでなく、運河を行く人々と地域社会に必要な食料や住居を与える役目も果たしてきた。1858年、火災で焼け落ちたが、6ヶ月後には再興され再び仕事を開始したという。
Pewseyでは、21時ごろからパブ「フレンチ・ホーン」に繰り出し、ハーフパイントづつビールを飲んだ後、ボートに帰り、ハナエが持ってきてくれたソバで年越する。まだ日付は変わっていないが、外からは、近くの町ではパンパンという花火の音が。
0時を迎えると同時に色とりどりの花火が上がり出す。2000年のお正月。パブ「フレンチ・ホーン」からも歓声が聞こえてきた。それでも静かなミレニアムである。
翌朝は8時半に起床。するとハナエはすでにおせちの準備を始めている。これは、彼女が日本からわざわざ持ってきてくれた材料で、昨晩から準備しておいてくれたものだ。中身は田作り、昆布巻き、エビの佃煮、黒豆。これにお雑煮が加わってほぼ完璧な正月料理がそろった。
●ロック越えスタート!
1月2日、この旅で初めてのロック越えにかかる。
今回は2人だけのため、1人がロックワークにかかりきりにならざるを得ない。この日の最初のロックを越えた時、これは予想以上に難儀であることが判明した。扉を両方開閉しようとすると、閉まっている扉から対岸に渡らなければならず、何度も往復しなければならない上に、相当時間もかかる。そこで、扉1枚だけで通過することにした。
ところが、こんな冬のまっさかりにでもボートを出している同好の志はいるもので、前半と後半、計2隻のボートといっしょにロック越えをすることができた。特に後半のボートは、家族づれで人数も多く、かなり助かった。”旅は道づれ”である。
この家族連れボート、両親はボートに住んでいて、クリスマス休暇で子供たちが遊びに来たのだという。なんでも父親が軍属の歯医者で、ブルネイやシンガポールにもいたことがあるとか。ロックワークを担当した私は、同じロック担当になった子供たちとそんな話をしながらトゥパスを歩いた。
彼等のボートが係留し、私たちのボートだけでロックを越えると、この旅の折り返し地点Great Betwyn。町のパブ「クロスキー」でランチ。結局、ここで2泊することになった。
●Devizesに帰る
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帰路についたのは1月4日。
この日を含めて、帰路は天候にも恵まれ、最高のクルージングとなった。日程には余裕があるので、途中ボートを停め、写真を撮りながらゆっくりと進む。
驚いた、というか、拍子抜けというか、すれ違うボートはゼロ。行きも3隻くらいしか会わなかったが、帰りは結局まったくすれ違わなかった。
1月6日15時45分、Devizesの船着き場に到着し、旅は終了。しかし、ボートの返却は7日朝なので、この日は船着き場に係留しながら、最後の夜を過ごす。
翌朝は、越えたかったDevizesの29連続ロックを歩いて見に行く。確かに、所々、工事中のサインが見える。これを越えてバースに行けるのは、いつのことだろうか。
徒歩で船着き場に戻り、今度は「運河博物館」を訪ねる。この博物館、冬季は閉まっているのだが、お願いすれば開けてくれると言うことで、前日にリクエストを入れておいたのだ。外観に比べて、結構中は立派だったので、満足して帰る。
10時30分、 出発の時に整備してくれたFoxhangerの“息子”氏が来るまで迎えに来てくれ、Chippehnam駅まで送ってもらう。夏の旅の時のように、ボーターたちとの出会いは少なかったのは事実だが、誰にも気を遣わず、ゆっくりとした自分たちだけのミレニアムを過ごせた。やっぱりボートはいい。。
期間:1999年12月30日〜2000年1月7日
ボート会社:Foxhanger Canal Holidays
ボート:Foxtail号(47フィート/4人乗り)
航行コース:Kennet & Avon運河
Devizes〜Great Betwyn間往復 航行日程 : 12月30日(金)Devizes〜Horton
12月31日(土)〜Pewsey
1月1日(日)〜Wooton River
1月2日(月)〜Great Betwyn
1月3日(火)Great Betwyn
1月4日(水)〜Wooton River
1月5日(木)〜Honey Street
1月6日(金)〜Devizes
1月7日(土)Devizes
参加メンバー:私、妻
1999年〜2000年冬 ケネット&エイボン運河